鉄腕アトムを始め多くの名作を世に送り出し、今も愛され続けている漫画の神様、手塚治虫。
長年過ごしていた場所が兵庫県宝塚市であることと、赤塚不二夫、藤子不二雄らと共にトキワ壮で生活していたことは有名ですが、
生誕の地が大阪府豊中市だった事は知られていないかもしれません。
そこで今回は手塚治虫が生まれた豊中市岡町と、その後移り住んだ本町について見ていきたいと思います。
漫画の神様の原点はどのような土地だったのでしょうか。
それでは早速いってみましょう!
手塚治虫のプロフィールは?
手塚治虫さんについてまずは簡単にプロフィールを確認してみましょう。
手塚治虫の本名は手塚治(てづかおさむ)
1928年11月3日に大阪府豊能郡豊中町(現:豊中市)に生まれました。
祖父は関西大学の創立者の一人。
さらに曽祖父は東京大学医学部の前進を設立した人物だそうなので、相当家柄の良い家庭に
生まれ育っているんですね!
手塚治虫本人も大阪の公立高校で最難関と言われる北野高校出身。
その後大阪大学医学部に通っていたので相当の秀才だったことが伺えます。
ちなみに手塚治虫さんの代表作ブラックジャックで、主人公のブラックジャックは医師免許を持たないもぐりの医者という設定ですが、
それを描いた手塚治虫自身は大阪大学で医師免許を取得しています。
手塚治虫の出身地大阪府豊中市とは
手塚治虫が生まれた土地、大阪府豊中市とはどんな場所なんでしょうか。
手塚治虫は豊中市岡町で生まれ、その後兵庫県宝塚市に引っ越すまで豊中市本町で暮らします。
まずは豊中市岡町
阪急宝塚線岡町駅付近の住宅街で、大阪国際空港、服部緑地共に近い場所に位置しています。
阪急岡町駅を降りるとすぐ東側には岡町商店街という歴史を感じる商店街があります。
相当レトロな商店街ですが、商店街の原型ができたのが昭和22年(1947年)とのことなので、手塚治虫が生まれた当時はまだなかったんですね。
豊中市本町の方はどんな場所?
一方宝塚に引っ越すまで住んでいた本町はどんな場所かとみてみると
岡町とほとんど変わりません!
一つ隣の駅なので、環境的にも何も変わりません。
こちらにも岡町商店街と同じように、銀座商店街というレトロな商店街があります。
余談ですが、全国のいたるところで「銀座商店街」という名前の商店街がありますね。
最初はなんで東京じゃないのに銀座なの?と不思議だったんですが、
銀座=賑やかな場所という意味で元々は地名ではないそうなんです。
まとめ
という事で今回は漫画の神様、手塚治虫の原点である豊中市の岡町と本町について見てきました。
手塚治虫のコアなゆかりの地。
個人的にはもう少し大々的にアピールしてもいいんじゃないかなと思います。
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